何かを貫き通したくなる、そんな気分にさせる映画。

『テイルズ オブ ヴェスペリア ~ The First Strike ~』を観てきた。

テイルズシリーズは、正直、そんなに興味ないし、ゲームも殆ど遊んだことがないんだけど、制作がPRODUCTION I.Gだし、脚本が吉田玲子だしってことで、とりあえず観てみようと思った。

映画を観る前は、イケメンや萌えキャラが、これでもか! と動き回る、中二病気味な爽快アクション大作なんだろうなと、勝手に思い込んでたんだけど、実際に観てみたら、予想と全然違ってて、かなり困った。

だって、実際に一番目立ってたのは、イケメンの主人公達……じゃぁなくって、中年の渋~いオッサンなんだもの。

このオッサンが、とにかく、カッコイイんだ。

見た目じゃなくって、普段の振る舞いとか、生き様とかが、もう、とにかく、カッコイイ。

イケメン達が所属する、騎士団の部隊長なんだけど、もうね、なんつーか、理想の上司なんですよ。

偉いからって偉そーにせず、いつでも少しとぼけた態度で周囲の緊張を解し、部下からも慕われ信頼され、やるときはやる男。

少なくとも、俺はリアルで、こんな素敵な上司に出会ったことがない。

少なくとも、自分自身は、出来る限り、こうでありたいと意識する努力はしているつもりだけど、それを貫き通すには、俺の器はちっぽけ過ぎるみたいでねぇ……。

とにかく、この映画、部隊長のオッサンが全てだと言い切っても、過言ではない気がする程、オッサンが魅力的なんだ。

渋いオッサンの魅力全開!

ただ、そのおかげで、作品全体を通して感じる、地味さは、もう、どうしようもない。

一応、アクションシーンもあるにはあるのだけど、むやみに派手で突飛なアクションはなく、観ていて爽快感はない。

戦う相手は、殆どがモンスターなんだけど、こいつらも派手で迫力のあるような奴らは登場せず、強いんだけど、地味で華の無い連中ばかり。

ハラハラドキドキするような展開はなく、大した起伏も無く、只々、淡々と流れていく物語。

ぶっちゃけ、観ていて、苦痛を感じる程、退屈だった。

でも、凄く良い映画を観たなぁと、感じた。

ここまで退屈だと、スタッフが、それをあえて狙っていたんじゃないかと、思う。

戦いを娯楽にしない、むしろ観るのが辛く感じるような。

吉田玲子繋がりだからかもしれないけど、時代や舞台が変わると、『けいおん!』もこうなってしまうものなのかもしれないなぁ、なんてことを思った。

決して、わかり易い、娯楽映画ではないけど、こんな映画がたまにはあるくらいのほうが、健全なはずだと、思う。

客とか、時代とか、何か色んなものに媚びようとせずに、こんな映画を作り上げたスタッフを、感謝しつつ、讃えたい、そんな気分。

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やっぱり、生きてみるのは、面白い……かも、しれない。

テレビでやってたから、なんとなく『火垂るの墓』を、流し観してみた。

俺は、こういう、暗い上に、お涙頂戴な作品が、大嫌いだ。

けど、作画監督が大好きな近藤喜文だったから、昔は、かなり無理して、楽しもうとしてた。

少なくとも、子供の頃は、なんてかわいそうな兄弟なんだろう、と思って観てた気がする。

親戚の小母さんのことも、なんて酷い人なんだろう、と思って観てたはずだ。

でも、昨日観た時には、昔とは、全然違う気持ちで観てた。

戦争中だったり、終戦直後だったりっていう、残酷な時代背景は考慮しないといけないのだろうとは思うが、それにしたって、清太のダメ人間っぷりが、目に余って、どうしようもなかった。

正に、絵に描いたような穀潰し。

節子に対してだけは、本当に優しい、良い兄ちゃんだという点があるおかげで、どうにも憎めないキャラクターになってはいるものの、それがなければ、本当に、ただのクズ。

お世話になってる親戚の小母さんに、ほんの少しでも感謝しているような態度もない。

そりゃ、清太みたいなどうしようもない奴といれば、親戚の小母さんみたいな愚痴の一つや二つは言って当然だ。

むしろ、愚痴だけで済ませてしまう、親戚の小母さんの寛容さのほうに、感心してしまった。

……まぁ、他人だから、言うだけでほっといたのかもしれないけどさ。

肉親だったら、ぶん殴ってでも更生させなくちゃならない! と思うもんな、きっと。

清太たちがかわいそうな境遇だったのは、認める。

けど、結局、節子を死なせ、自分自身ものたれ死にするはめになったのは、最大限の努力を怠った結果だ。

とてもじゃないけど、同情なんか出来るわけがない。

現代なら、登校拒否児とかニートとして、ギャグにできるだろうけど、そんなもんは、ある程度の平和とゆとりがあるから許されるんだろ。

戦中や終戦直後の時代背景で、清太のあの態度は、ありえないと思う。

あの時代なら、頑張っても頑張ってもどうしようもなかった……ということもあったのかもしれない。

けど、少なくとも、清太が、精一杯頑張っていたとは、到底思えない。

俺は、大概いい加減な男だけれど、頑張らない奴は嫌いだ。

でも、頑張りますという奴も嫌いだ。

だって、頑張るのは、ウンコした後に尻を拭く位に、当たり前のことだから。

少なくとも、この世界は、頑張らない凡人がまともに生きていられるほど、生易しくはないはずだ。

今も、昔も。

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これが、ほんとうに、やりたかったこと……?

『サマーウォーズ』を、観てきた……ハズ、なんだけど……まさか、劣化版『デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム!』が始まるとは、少なくとも、事前情報を殆ど入れない状態で観に行った俺には、思いもよらなかった……。

いや、ヱヴァ破で流れてた予告編を観た時も、少しは、ぼくらのウォーゲームみたいな雰囲気もあるなぁ~、位には感じたけどもさ、まさか、そのまんまだとは、思わねぇだろ!?

『サマーウォーズ』はね、ホントね、なんかね、ぼんやりとした映画だったよ……。

誰が、主人公なの?

誰に、活躍させたいの?

俺ら観客は、誰に感情移入して、楽しめばいいの?

そのへんがね、もう、ことごとく、ぼんやりしてるのよ……。

俺は、健二を応援したかったんだよ!

でもさ、せめて、活躍しようとしてくれなくちゃ、応援もできやしないからさ……。

勿論、健二が活躍する場面は、結構あるにはあるハズなんだけど、どれもこれも、インパクトが、弱い……。

目立つ登場人物が、今までの、細田守作品に比べて、格段に、急激に、増え過ぎたことによる、弊害だろうな、と思う。

なるべく、みんなに活躍させようとした結果、一人一人の見せ場が、イマイチ、盛り上がりに欠けていた。

本来、主人公が一人で持っていればよかったのかもしれない個性を、複数のキャラに分散させてしまったのが、原因な気がする。

健二は素直な良い奴だけど、主人公を張るには、真面目過ぎる。

主馬も素直な良い奴だけど、主人公を張るには、捻くれ過ぎる。

夏希はじゅうぶんな美少女だが、主人公を張るには、普通過ぎる。

要するに、この映画、主人公を張れそうな可能性のあるキャラの中に、バカが足りないのだ。

少なくとも、この三人の中に、翔太に負けないくらいのバカさがあれば、この映画は、もっと楽しくなっていた可能性もあるんじゃないかな、と思う。

実は、今日まで、殆ど意識したこと無かったけど、応援する、という行為は、実は物凄く、気持ちの良い行為なのかもしれない。

野球以外のスポーツ観戦の面白さが、俺にはいまいち理解できないのは、応援の仕方がわからないからなのかも。

実際に、自分が体験すると、大概のスポーツは、そこそこ面白いものだけど、ただ観るだけだと、話は別になるんだろうな。

観ることと応援の関係は、また、暇なときにでも、じっくり考えてみようっと。

これも『サマーウォーズ』を観たおかけだ。

ありがとう、『サマーウォーズ』!

で、本題なんだが、主馬は最初、ずっと女の子だと思って観てたのは、俺だけじゃないハズだろ!?

鬼太郎ヘアーに冷めた目つき、つるぺたなお胸に、挙句ボクっ娘!

へへへ、おじさん、こういう娘が大好物なんですよ、ゲヘゲヘ……♪

……と思ってたら、マジ男の子だったのかよっ!?

……へへ、とっつぁんよぉ……それはそれで、アリだぜ!!!

いや、っていうか、あの声、かわいすぎだろ……?

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貴女のことが好きだった……らしい。

※以下、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』のネタバレ気味な内容含む※


『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観てきた。

序を観た時は「間違い探しみたいな映画だなぁ~」と感じて、正直退屈で期待外れだった。

まだアスカが出てなかったしな。

ところがどっこい、破は違った。

「ちょっとは退屈させてくれてもいいのに……」と思ってしまう程に、充実し過ぎにも程があるぞ!?

もう、とにかく、“凄い”映画だった。

うん、あくまでも“凄い”映画だ。

あえて“面白い”映画とは、言いたくない気分。

作画が“凄い”! 展開が“凄い”!

でも純粋に“面白い”! と感じる気分には素直になれない程に、ショックがデカい……。

俺、今まであんまり自覚無かったんだけど、どうやらアスカが好きだったらしいよ。

アスカが好きなら好きな程、ショックのデカさは凄くなるはず。

ある程度勘の良い人なら、展開が予測し易い流れになってるせいで、途中から観るのが辛くなると思うし……。

次回予告が無かったら、発狂してたかもしれんよ、マジで。


今回の破では、その名の通り、様々なものを破壊しているなぁと感じたけど、その中でも最も気持ち良かった破壊は、綾波の「私が死んでも代わりはいるもの……」という、ネガティブ全開の名台詞を全壊してみせたシンジの台詞だったんじゃないかなぁと思う。

あそこは素直に気持ち良かった。

10年以上の時を経て、遂にシンジがロボットアニメのヒーロー役に昇華してしまった瞬間。

……のハズなんだけど、なんだか素直に喜べないという複雑な気分。

あんなカッコイイこと言うシンジはシンジじゃない! みたいな。

TV版の時は、漠然と“みんな”を守るために戦おうとしていたシンジ。

それが、今回の破では、もうね、綾波好き好き♪ なシンジときたら……。

みんなの為じゃなくて、綾波の為だけに戦っちゃうんだもん……。

まぁ、確かに、破の綾波はキャラが立ちまくってて、贔屓され過ぎじゃね? と感じる程。

流石の俺でも、少しは“ぽかぽか”しかけたりなんかしちゃったけどもさ。

シンジがいらないなら、アスカは俺が引き受けるから、安心しろ!!!

ああ、もうね、観終わってから結構時間経ってもね、まだドキドキしてる。

俺は肯定的な人達みたいに、素直に娯楽作品としては楽しめてないんだけど、それでも間違いなく、金払って観る価値は充分過ぎる程にあったと思う。

序の時は全然だったけど、今はもう次回のQが待ち遠しくて堪らない。

Qを観るまでは、絶対に死ねないな、コリャ。

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心も脳も楽したい

今期のアニメ新番組も大体出揃ったでしょうか。

一応一通りは目を通して、視聴を継続することにしたのは以下の作品。

『To LOVEる』

『紅』

『マクロスF』

『かのこん』

『仮面のメイドガイ』

『隠の王』

かなり視聴する作品を絞ったつもりだと思いますが、どうでしょう。

正直、『紅』と『かのこん』の他は外しても問題無いかとも思うのですが、稀に神回がありそうな予感もするので一応チェックだけはしておこうかと……。

『To LOVEる』と比較すると、全体的な完成度は『かのこん』の方が圧倒的に優れていると感じるのですが、もしかすると『To LOVEる』の方には足立慎吾の作監回があるかもしれないと思うと見逃すわけにはいかないのです。

それにしても『かのこん』があんなに楽しめる作品になるとは意外でした。

ちょっとえっちなサービスシーンばかりに目がいってしまうかもしれませんが、耕太の細かい動きとか見てるだけでもかなり楽しめます。

モブもかなり頑張って動かしているみたいですしね。

欲を言えば足立慎吾には『かのこん』に参加して欲しかったのですが……。

『マクロスF』はサテライトなので一応チェックはしてますが、同じサテライトなら『しゅごキャラ』の方が好みなんですよね。

第27話には中津環が絵コンテにクレジットされてましたし、岸田隆宏の一人作画EDも楽しいです。

今期のアニメ中で群を抜いた完成度の高さを誇るのが『紅』だと思います。

余裕があれば感想なども書きたいのですが、中途半端なことは描きたくないなと思わせるほど気に入ってしまったので、今回はやめておきます。

とりあえず今期のアニメ位からでもブルーレイ版のリリースを積極的に開始してくれると嬉しいのですが。

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『true tears』第13話「君の涙を」

「俺は、お前を許せないんだ」

眞一郎に対する素直な気持ちでありながらも、自分自身に対しても純が感じている気持ち。

大好きな乃絵の心と身体を傷つけたのは、眞一郎の存在であり、自分自身の存在でもある。

それでも、純が眞一郎に対して怒りや憎しみを感じていないのは、眞一郎の乃絵に対する気持ちが真摯であることを理解しているはずだから。

種類は違っているけれど、自分と、同じように。

「みんながみんな、自分が悪いと思ってりゃ世話ねえな」

誰もが誰のせいにもしていない。

誰もが誰も憎くはない。

それでも、それなのに、悲しくて、切なくて、どうにもならなくて……。

「あんたのこと、好きじゃなかった。これっぽっちも」

あやふやな謝罪の言葉なんかでごまかしたりしない。

きちんと責任を持って、自分自身の素直な気持ちを相手に伝える。

不器用だけど、とても真面目な、純なりの、精一杯の誠意。

もしくは、この後、今の比呂美が最も望んでいるものを得られることを純は知っているからこその、精一杯の皮肉のつもりなのかもしれない。

比呂美の部屋の側にいた、ブサイクな猫と戯れようと近づく眞一郎。

その顔は、とても開放感に満ちていて。

嫌じゃないけれど、逃げ出したくもなるような、だけどもきちんと向き合わなくちゃいけない現実。

猫と戯れている時くらいは、せめてもの、つかの間の平穏を。

「心が、ふるえた時、かな……」

ふいの眞一郎からの問いかけに対して、思わず真面目に答えてしまった父。

その場から眞一郎が去り、一人になってから改めて、自分自身に軽く悶絶する。

このアニメのメインキャラクターは、どいつもこいつも真面目で不器用な奴らばかりで、みんな大好きだ。

「やったぁ~! ご馳走になりに行く、待ってて」

比呂美の家の夕飯がシチューだと聞いて、喜んでみせる眞一郎。

既に眞一郎の気持ちが、あの時から揺るぎ無いものであることを示している。

乃絵のことが好きで、乃絵の眞一郎に対する気持ちを知っている、僕たちに覚悟を持たせる為に。

「見ない」

自分の想いは叶わないことを、既に理解している乃絵の、せもてもの足掻き。

だけれど、乃絵にはまるで駄々っ子のように振舞うことしか出来なくて。

「眞一郎は私がいなくても大丈夫。私がいなくてもきっと描けた」

理解は出来ても覚悟は出来ない、そんな乃絵に出来るのは、せめてもの、ささやかな逃避だけ。

「いいの。飛ぶことの出来た雷轟丸が、その後、どうなったのか……自分で考えてみる」

優しく差し伸べられた答えを受け取ることよりも、自分自身でその答えを見つけ出して、その手に掴む決意をした乃絵。

「私はまだ飛べないから、歩いてく」

夢のような憧れよりも、今の自分に必要なのは、目の前の身近な現実をきちんと受け入れる努力をすること。

少なくとも、乃絵はそう思ったのではないだろうか。

好きだからこそ、乃絵の側にはいてあげられない、純と眞一郎。

眞一郎は乃絵のことが好きなのだ。

でも、その好きはきっと、妹だったり娘だったり、家族に対して抱くような好き。

乃絵が眞一郎に対して求めている好きじゃない。

純の乃絵に対する好きが眞一郎と同じだったら、眞一郎の乃絵に対する好きが純と同じだったら。

でも、もっと根本的な。

今の乃絵に必要なのは、恋愛よりも、もっと穏やかな、他人との関わり。

例えば、友情のような、もっともっと平凡な、他人との関わり。

乃絵は綺麗だ。

だって、他人とちゃんと関わり合っていないんだから。

他人と関わらなければ汚れない。

ほこりも被らずに箱の中に入れられたまま飾られているだけのフィギュアと大差ない。

汚れきって疲れ果てたゴミ同然の僕のような人間にとっての、ただの慰み物でしかない。

本当に乃絵のことが好きなら、本当に乃絵のことが愛おしいのなら、乃絵がちゃんと汚れていく様を見守っていかなくてはいけない。

ただの偶像ではなく、一人の人間として、彼女がきちんと生きていけますように。

乃絵が、ちゃんと汚れて、もっと傷ついて、それでもきちんと生きていけるようになっていたら。

恋愛をするのは、それからでも充分なのだから。

だから、せめて今は、僕が乃絵の為に泣いたっていい。

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好きだからこその不安……。

『ヒャッコ』アニメ化はかなり予想外で驚きました。

自分の中ではここ最近のお気に入り漫画の一つなので、期待と不安でドキドキします。

製作は日本アニメーション。

世界名作劇場シリーズは大好きなのですが、流行に積極的に便乗してくるような会社でないので、一体どんなスタッフで製作されるのでしょうか。

『少女コゼット』繋がりで、桜井弘明さんが監督なら個人的に嬉しいのですが、どうでしょう。

『ヒャッコ』と桜井弘明さんなら相性は決して悪くないと思うのですが、はてさて……。

しかし、原作漫画のアニメ化は、未見の原作ならまだしも、かなり思い入れのある作品だと厳しい結果となってしまう可能性のほうが高いので、今のうちからある程度の覚悟はしておいた方が良いのかもしれませんね。

特にここ最近のアニメ化は微妙なものが多かったように感じますし。

『夢使い』『もっけ』『xxxHolic(TVシリーズ)』は個人的には正直かなりがっかりな出来でしたからねぇ……。

まぁ、製作側も色々と難しいとは思いますけど。

勿論、『蟲師』や『おおきく振りかぶって』のように、アニメ化によって原作の魅力がより引き出された作品も多くありますので、チャレンジはどんどんして欲しいです。

そろそろ『みつどもえ』アニメ化の発表があるのではないかと思う、そんな今日この頃。

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『true tears』第12話「何も見ていない私の瞳から」

アブラムシの唄を歌っている乃絵が好きだ。

乃絵がアブラムシの唄を歌っていられるのは、乃絵が純粋だから。

純の気持ちにも、比呂美の気持ちにも気がつかないくらい、良くも悪くもまっすぐだったから。

でも、これから色々なことを考え、受け止められるようになって、相手の気持ちも理解しようとする乃絵になってしまったら、もうアブラムシの唄を歌ってはくれなくなるのかもしれない。

お尻をフリフリ、アブラムシの唄を歌っている乃絵を、いつまでも見ていたいと思うのは、きっと自分勝手なわがままなことなんだろう。

乃絵はきっとかわっていくべきなんだと思う。

それは僕らが望まないような結果だったとしても、かわらなければいけないんだと思う。

ふがいない自分を嘆いて逃げることしかしらないままの彼女を、ちゃんと考えて、受け止められるように、眞一郎がそのきっかけになってくれるのなら。

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私が愛した佐藤順一

何だか昨日から自分の中で“ちょっと前のアニメを観直すブーム”が始まったようです。

あまり重い内容のものは疲れてしまうので、軽くてかわいいのがいいなぁと思い、今日は『魔法使いTai!』を観てみることにしました。

沢山観るほどの時間は無いので「茜ちゃんと、しゃっくりと、アヤシイ関係」「高倉先輩と、やっこと、秘密のデート」の2本だけ。

「茜ちゃんと、しゃっくりと、アヤシイ関係」は、茜ちゃんがしゃっくりをすると魔法が暴発してしまうのでさぁ大変! といった内容のお話なのですが、う~ん、ヤバイですね。茜ちゃんがかわいすぎて!

作画も声の岩男潤子さんも、どっちもかわいい上にほんのりエロくて、まったくもってけしからんなぁっ、もう♪

岩男潤子さんはあの声で人妻とかね、もう余計に辛抱堪らんとですよ!?

ああいう思わせぶりな美少女に振り回されて弄ばれたいというのは男の……というか僕の理想なのです。

「高倉先輩と、やっこと、秘密のデート」は……これは何とも文章では説明し辛い内容で、事細かに説明するのも野暮になりますし、とにかく実際に映像を観て判断していただきたいお話ですね。

これを初めて観た時は、正直かなり気持ち悪かったです。

といっても、グロテスクな表現や残酷な描写がある等という訳では勿論ありません。

視覚や感情ではなく、思考を迷子にさせられるような、観れば観るほど不安になるような、乗り物酔いのような、でも決して強烈な刺激ではなく、何か先端が柔らかくて丸いものに押され続けているような、心地の良い揺り篭に揺られてはいるのだけれど鎖でがんじがらめにされているかのような……???

自分が今、夢の中にいるのか、それともこれは現実なのか、夢と現の境界があやふやで分からなくなっちゃうんですよ。

でも、そこは天下の佐藤順一。ラストシーンでは完全にすっきりとした気分でニヤニヤさせてくれます。

随所に光る演出が散りばめられているのですが、個人的に一番好きなのは、今が夢か現か分からなくて不安になっている沙絵に対して、夢の中の存在か現実の存在かがまだはっきりとは判別できない高倉が「(夢か現実か直接触って)確かめてみたら?」と沙絵に差し出すその手が微かに震えている描写がとても好きなのです。

頭の先から尻尾の先まで容赦なく佐藤順一節がぎゅうぎゅうに詰まっていてとってもお得なのです。

最近は『ARIA』のような作品ばかりを手がけている印象が強く、佐藤順一の魅力の一つである“身体に優しくて美味しい毒”を味わう機会が減っているように思えて物足りないのです。

佐藤順一を堪能したければやはり、この『魔法使いTai!』や『夢のクレヨン王国』を観るべきだよなぁと思いました。

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そんな休日の過ごし方

最近殆どDVDを観ていなかった……というか、そもそもあまり購入すらしていませんでした。

DVDを購入してまで観たいと思うアニメがここ最近はあまりなかったというのも理由なのですが、DVDを購入したいと思うアニメ程DVD化されなかったんですよね。『流星のロックマン』とか……。

半年前の引越し後、高校生の頃にバイト代で買った、当時の某家電量販店価格で8万近くした、29型のブラウン管テレビが計ったように成仏なされた為、思い切って42型のプラズマ・フルハイビジョン対応テレビに買い換えたものの、完全に『アイドルマスター』専用モニターと化しておりました。

折角なので、4:3の画面比率では上下に黒帯が入ってしまいこじんまりとしていた、16:9の画面比率で収録された映像のものを観ようと部屋の中のDVDを漁ってみました。

TVシリーズものを連続して観続ける程の時間と気力はなかったので、とりあえず映画にしておこうと思い『サクラ大戦活動写真』を観てみました。

当時、同時上映だった他の作品に興味があったので劇場まで足を運んで観たのですが、お目当てだった他の作品たちよりもノーマークだった『サクラ大戦活動写真』の方が断然面白かったんですよね。

冒頭の花組メンバーによる歌の場面から度肝を抜かれましたよ。とにかく、アニメーションとしては終始どうかしているとしか思えないようなカメラワークの連続で、これを作った奴らは絶対バカだと(勿論褒め言葉です)思いましたから。

また、花組メンバーの乗り込むロボットを戦地まで運搬する大型列車の発進場面も失禁しそうな程かっこよかったんですよ。自分はメカは嫌いではありませんが、それ程興味がある方でもないにも関わらず、この場面が観たくて大人になってから初めて映画館で2週目を体験しましたからね。同時上映が他に3本もあったのでベラボーに疲れましたけど、それだけの価値は充分にありました。

自分は『サクラ対戦』をSS版の「1」しかプレイしたことがなかったので、「2」以降の登場人物はいまいちよくわからなかったのですが、そんなことは大した問題ではなく、自分のように特別ファンでもないような人間をも虜にさせる素晴らしい内容で大満足でした。

今日は久しぶりに観直してみましたが、やっぱり面白かったです。同じスタッフでまた映画を製作してほしいのですが、無理なのかなぁ。

その後はなんとなく『苺ましまろ』のTVシリーズを適当にチョイスして観続けてました。

OVA版よりもシンプルなキャラクターデザインなので、個人的にはTVシリーズの方が好みです。

中でも佐藤竜雄さんが絵コンテを担当している「そいね」は傑作です。

普段は鬱陶しいだけの(まぁ、良い意味で……)美羽がとても愛おしく感じる神回なのです。

他にも神戸守さんが演出を担当している回が多いのも嬉しい限りです。

やっぱり人間疲れたときには甘いものが欲しくなるように出来ているのでしょうね。

萌えは大人の嗜みなのです。

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『しゅごキャラ!』第23話「リメイクハニー! なりたい自分!」

前回の次回予告を見て、スゥだけ二階堂の下へ渡ってしまった理由がなんとなく理解できましたよね。

やっぱり壊す力よりも、なおす力の方が断然偉大なんですよね。

自分の部屋にもスゥがほしいですよ、普通に。

最後の方で交わされた、あむと二階堂の会話のやりとり。あむが何気なくさらっと、でも確実に本質をついた発言をしていたのが、何だか自分の胸にも痛いような清々しいような、不思議な気持ちにさせられました。

結局は自分が勝手に思い込んでいるだけで、本当は“敵”なんてこの世にはいないんだよ、と。

二階堂は先生には会わずに、自分一人でこれから進む道を模索していくのでしょうか。

予告を見る限りではまたあむたちの学校の先生に戻ってきてるみたいですけど、はてさて。

今回のお話を見ていた視聴者の子どもたちが、どんな風に受け止めて考えてくれるのか。

ま、何にも考えずに、ただ楽しんでくれてるだけでも充分なんでしょうけどね。

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『シゴフミ』第十一話「メザメ」

「文歌」と「フミカ」の関係が、『赤毛のアン』でアンが鏡の中に映った自分の姿を別の人格と仮定して独り遊びをしていた程度のことなら大した問題ではなかったと思うのですが、「フミカ」は既に独自の人格として完全に独立し、他者からもその存在を個別のものと認識されてしまっている……という、なんとも厄介でややこしいことになっております。

「文歌」を忌まわしい過去の呪縛から開放して救ってあげたいという純粋な気持ちからなのでしょうが、時々「フミカ」が、自分への“罰”だからと呟くのが、どうにも逃げのように思えて釈然としません。

そんな風に思ってしまうのは、自分も「フミカ」のことを「文歌」とは異なる個別の存在であることを認識しているからなのかもしれません。

だからこそ、例え空想上だけの存在であったとしても、その存在を抹殺するなんてどうにも納得できません。

自分が頭の中だけで生み出した空想上の存在を殺すことと、現実世界で授かった自分の子どもを殺すことに、罪の意識の重さがどれ程違うというのでしょうか。

思考が極端過ぎると思われるかもしれませんが、それ位の覚悟が必要なのは間違いないと思うのです。

ところで「文歌」ちゃん、三年間も眠っていたというのに、いきなりすき焼きなんてヘビィなもの食べてポンポンは平気なのかしら?

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『true tears』第11話「あなたが好きなのは私じゃない」

「こんなバッドエンド、誰が読むんだよ……」

子どもの頃は、勧善懲悪やハッピーエンドのお話が、むしろ嫌いだった。

何をしても満たされない自分とはあまりにもかけ離れた、予定調和でご都合主義な物語に対して、納得できなかった。

だからもっとリアルで、不都合で、決して思い通りになんかならない、不幸な現実を知らしめてくれる物語こそが必要なんだと、本気で思っていた。

きっと、素直に楽しむことよりも先に、お話の中の登場人物たちに嫉妬してしまっていたんだと思う。

ずるい! 羨ましい! と。

でも、生きてみれば生きてみる程、ウンザリするような辛いことばかりの連続によって、考え方が変わり始めてくる。

わざわざ空想の物語に見せ付けられるまでもなく、この現実世界を生きてるだけで、不幸は吐く程思い知らされる。

だったら、せめて空想の物語くらいは、自分に幸せを見せてほしい。

現実世界だってそうなのだ。

例え赤の他人であったとしても、辛そうにしている姿より、幸せそうな姿を見ている方がよっぽどましなのだ。

幸せになろうと頑張ったのに、上手く出来なくて、結果的に不幸を招いてしまうことはあるかもしれない。

けれど、あえて不幸を求める必要なんて、何処にもないはずだ。

少なくとも、このアニメのエピローグのシーンでは、みんなに笑っていてほしい。

特に乃絵は、せめて乃絵だけは……!!!

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『PERSONA-trinity soul-ペルソナ~トリニティ・ソウル~』第11話「依存の定義」

冒頭から展開される露骨に凄まじいエロシーン、許せる!

叶鳴スキーにとっては永久保存版なただの神回でした……って、いやいや、それだけじゃありませんでしたけど。

“影抜き”は現実世界における若者たちのドラッグと同等の危険な遊びということになると思うのですが、描写がアレ過ぎて、単に叶鳴は自慰中毒の淫乱少女にしか見えなくもないのですが……。

麻薬と比べて金銭的な負担がかからず安易に行える分、“影抜き”はこのアニメの世界ではより深刻な問題となっているとも考えられますね。

麻薬も、酒や煙草と同等のストレスを解消する為の手段の一つになるのでしょうが、酒や煙草以上に自身への肉体的・精神的負荷が重過ぎます。

そもそもストレスさえ感じることがなければ何の問題もないのでしょうが、現代の人間社会の中で生活しようとする以上、それは不可能なので、ストレスを解消する為の何らかの手段が必要です。

その手段が複数必要な人もいれば、たった一つで充分だという人もいるでしょう。

単に手段を見つけるだけではなく、“極力他人に迷惑をかけない”“極力社会的に逸脱しない”“極力自身の負担にならない”という点を押さえることも非常に重要です。

手淫だけでストレスが完全に解消できれば理想的なのかもしれませんね。

このアニメの“影抜き”は、どうやら自分一人では行えないらしいので、若者の間で流行しやすいというは理解できますね。

自分も中学生・高校生位の頃は、どうしようもなく、それこそ狂おしい程に他者を求めていましたから。

あの年代が感じる孤独への恐怖は、病的ですらありますからね……。

それに比べて、今の自分はあの頃が嘘のように、独りでいることが平気という、かむしろ独りでいる方が気楽で心地良いですからね。

それが良いことなのかどうかは別ですけど。

このアニメ世界での全体的な“影抜き”問題の解決を本編中で行うことは不可能でしょうが、叶鳴の、身近な友だちの問題をどのように解決してあげられるのかは、次回以降も見守っていきたいと思います。

……ところで、戌井ってゲーム版のキャラクターと関連があるのでしょうかね?

見た目は少し天田に似ていないこともないようにも思えるのですが、やっぱり苗字が違うし……。

はてさて。

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『PERSONA-trinity soul-ペルソナ~トリニティ・ソウル~』第10話「影は薄暮に微笑う」

このアニメは本当にシリアスさを逆手に取ったコメディ演出が巧い。

これは原作であるゲーム版の『ペルソナ3』もそうでした。

シリアスなだけでは、とてもじゃないが人間は生きていけない。むしろ、シリアスな状況だからこそ、笑い飛ばしたいはずなのだ。

自分は一般的な葬式の状況が大嫌いだ。慎んで謹んで、悲しいフリをして涙をながしましょう的な雰囲気と、それを強要する周囲の人間共が大嫌いだ。

だから自分は他人の葬式には絶対に参加しないが、仕方なく参加した自分の母親葬式の際には、坊さんがありがたいお経を詠んでくださっているのが面白くて、始終笑っていた。とりあえず自分が死んでも葬式なんてしないように今から遺書に書いておこうと思う。

閑話休題。相変わらず長男のポジションが美味しすぎます。多分、このアニメで一番の人気キャラなんじゃないかと思う。末っ子も末っ子で、何だか新しい性癖に目覚めてしまいそうな危うい魅力を放っていて困ります。そのおかげで、多分、主人公なはずの次男が空気すぎて泣けてきます。

それにしても叶鳴はエロい。なんかもう、いるだけでエロい。実にけしからん♪ 楢崎さんの叶鳴フラグも立ったっぽいですし、自分も叶鳴のように思わせぶりな女性に振り回されてみたいものです。

背景(関智一さんのキャラ、名前知らない……)が持ってる叶鳴のビデオが激しく欲しいんですけど。叶鳴の特典映像が収録されるならDVD確実に購入するのですが。なんならHD-DVDで出ても……。

予告編を見る限り、来週は叶鳴とババァ橘花のスーパー百合百合タイムがある模様なので、来週までみ・な・ぎ・っ・て待ってます。

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『シゴフミ』第十話「デアイ」

「友だちだと思ってたんだけどな……」

そんな言葉をかけてくれる他人が、自分にはいるだろうか。

多分、きっと、いない気がする……。

自分から見れば、毅彦は充分すぎるほどに幸せで、恵まれていたはずだと思う。

生まれたときからいつか死ぬことなんて分かっているはずなのに、その「いつか」は、自分にとってはまだまだ遥か彼方の遠い遠い先のことだと思い込み、不安から目を背けることで、何とか生きてみる。

どんな生活をしている人にだって、本当は誰でもいつでもあっという間に死ぬ可能性に満ち溢れている。

急に倒れてきたタンスの下敷きになって死んでしまうかもしれないし、車に轢かれて死ぬかもしれないし、発砲事件の流れ弾に当たって死ぬかもしれないし、気が狂った男に電車の中でナイフで刺されて死ぬかもしれないし、バナナの皮で滑って転んで頭を打って死ぬかもしれないし……。

毅彦のように不安定な死の確実性を宣告されるのは、突然死ぬよりむしろ辛いかもしれないけど、そんな人はいつだって世界中にはいくらでもいるはずだ。

だから、せめて、いつどんな時に死んでしまってもいいように、死ぬ直前に「悪くはなかったんじゃないかな……」くらいには思えるような生き方をしたい。

毅彦は自分が何の為に絵を描いていたのかを再確認して、その目的も達成していたことを知った上で死ぬことができたのだから、こんなに素敵なことはなかったはずだ。……しかも、幼女の為に死ねるなんて、むしろ羨ましいっつーの。

実は自分も「死ぬかもしれない」と思う瞬間を実感する出来事を体験したことがありました。

その時の自分は、最初はこのままじゃ死ぬかもしれないという“恐怖”に支配されましたが、徐々に痛みや苦しみを感じなくなってくると“恐怖”はすっかり消えてなくなり、むしろ“安らぎ”を感じました。多分、今まで生きてきた中で一番の“安らぎ”を感じていました。

こんないい気分のまま死ねるなら、それはそれでいいかも……。

そう思った矢先、ふと冷静に、自分の死んだ後のことを考えてみた時に、ひとつだけ引っかかることがあることに気づいてしまいました。

自分の部屋にあるエロ本とかエロDVDのことを。

自分が死んだ後、自分の部屋の荷物を整理している家族とかにあれらのエログッズを発見されたら……。

そう考えた途端に、このまま死ぬわけにはいかないっ! こんなところで死んでたまるかぁっ!!! ……と、自分でも驚くほどに“生”への執着が湧き上がってきました。

そのおかげかどうかは定かではありませんが、とりあえず今もこうして自分は生きてはいます。あの時感じた異常なまでの“生”への執着がなければ、死んでいたかもしれないし、死んでいたほうが楽だったような気もしています。

結局、人間なんて、どうしようもなくくだらないごく個人的なプライドの為だけに生きているのかもしれません。

自分が死んでも、シゴフミを届けたい相手なんて、誰もいないよなぁ……。

そう思うと、やっぱり少しさみしい。

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『true tears』第10話「全部ちゃんとするから」

石動乃絵が幸せになれなかったら、俺がどうにかなりそうです。

乃絵、物分り良すぎるにも程があるだろ!? 乃絵の眞一郎に対する気持ちが伝わりすぎてきて、辛すぎる……。

かといって今更、眞一郎が乃絵のところに戻ってきても誰も納得しないだろうし……。

乃絵を幸せに出来るのは、既存のキャラクターの中には最早だれもいない気がします。

辛抱たまらなくなった純が乃絵を押し倒すバッドエンドすら想像してしまって、クラクラしてきました……。

別に、比呂美や愛子が嫌いなわけではありません。それぞれ単独のヒロインとして冷静にみれば、充分魅力的で素敵な女の子だと感じると思います。しかし、このアニメの、この設定の中に放り込まれてしまっては、乃絵スキーの自分の視点では、もう敵以外の何者にも見えません。

比呂美ぃ? 愛子ぉ? そんな奴等のことなんか、どうでもいいっ!

そんなことより、乃絵を、俺の乃絵をなんとかしてやってくれぇっ!!! 頼むっ!!!

……とかなんとかいってはみたものの、このアニメはやっぱり凄いです。

何が凄いって、こんな状況になっていても、どのキャラのことも決して憎く思えないんですよ? 大体こういう状況を取り扱う作品って、誰が悪い! 何が悪い! 誰が氏ね! とか何とかなってしまうじゃないですか。でも、このアニメでは、誰も悪くないし、何も悪くない。これはこうなっちゃっても仕方ないよなぁ……と思えるんです。少なくとも自分は。

まぁ、自分の好きな相手と付き合えることは幸せのきっかけにはなるかもしれませんが、それだけではまだまだ満足できないですもんね。

相手にも自分のことを好きになってもらいたいし、相手のことをいつまでも好きでいたい。

でも、実はそんなことは宝くじで大金を当てるくらいに難しいことなのかもしれません。

でも、せめて最終回までの間の乃絵の幸せくらいは、保証してあげてはくれませんか?

ついでだから三代吉もな。

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作画アニメだよ! ドラえもん

『映画ドラえもん のび太と緑の巨人伝』を観てきました。

構成的には、渡辺歩監督が担当された前作『のび太の恐竜』同様、日常→大冒険→日常となっていました。

『帰ってきたドラえもん』『のび太の結婚前夜』『おばあちゃんの思い出』『ぼくの生まれた日』等の渡辺歩監督作品のファンとしては、大冒険パートは……正直いらないとさえ思ってしまうほど、日常パートが気持ちいいのです。

でも、よく考えるとドラえもんがそこにいるという時点で既に日常からは逸脱しているはずなのに、全く違和感を感じないのは、それこそ生まれた頃からドラえもんを見続けてきた世代特有の慣れなのでしょうか。

あとTV版と比べて今回の映画版ではのび太の部屋が狭いみたいですね。前作の『のび太の恐竜』でもそうだったのかちょっと記憶が曖昧なんですけど、前作より更に狭くなったようにも感じられました。まぁ、だからどうしたという程度のことなんですけど、なんか狭いほうがより親近感がある気がしたので。実は全部気のせいかもしれませんけど。

何気に擬人化系の女性キャラが可愛かったのはポイント高いですよ。ああいうキャラに萌えてしまうのは『名探偵ホームズ』や『宇宙船サジタリウス』の影響かしら……? その割りには、渡辺歩監督らしからぬ“しずかちゃん度”の低さには少々がっかり。さすがに監督も自重したのでしょうか。

全体的に作画は相変わらずはっちゃけてました。個人的に妙に印象に残ったのは“眼鏡を外したのび太の目”でしたね。眼鏡を外しても“33”ではないのび太というのは実はレアなのでは。全編音を消して純粋に映像だけを垂れ流しても充分楽しめるアニメになっていると思います。作画スタッフ全員を把握することは無理でしたが、スタッフロールの中に「馬越嘉彦」「松本憲生」の名前は確認できましたので、作画マニアも楽しめることでしょう。

スタッフロール後のおまけを見ると、ファンには来年の作品がすぐにわかる仕様になっています。今後の映画版は、リメイク→渡辺歩→リメイク……というローテーションでやっていく感じになるのかもしれませんが、そろそろドラえもんではないオリジナルの渡辺歩アニメが観てみたいですね。

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